2013年6月9日日曜日

神の前に豊かに生きる

2013/6/2宣教より

ルカ 12:13~21

これは、主イエスがいつものように群衆に教えておられた時のことです。その中に財産相続をめぐって困っている一人の人がいたのです。◆こういう争いはいつの時代でもあります。時折、それが殺人事件までも引き起こしてしまうことがあります。財産とは、富とはなんと人間の心をゆがめてしまう恐ろしいものかと思います。◆もちろん、富、財産が「悪」ということではありません。それをどのように用いるか、それが大切なのです。富、財産に魂を売り渡してはならない、支配されてはならないのです。◆これ、正論です。ここにおられる皆さんも「その通りだ」と賛成なさるでしょう。しかし、理屈では分かっていても、ふと気が付けば、私たちの心に入り込んで、知らず知らずに支配してしまう力、「貪欲」という悪しき欲望の力が富や財産にはあるのです。◆これは何もこの遺産相続で悩んでいる一人の人の問題ではなく、すべての人間が陥りやすい罠であり、弱さなのです。◆「どんな貪欲にも注意を払い、用心しなさい。有り余るほど物を持っていても、人の命は財産によってどうすることもできないからである。」――ここで主イエスが語られる中心問題は、「死」の問題です。富の問題ではありません。この世で金持ちであっても、そうでなくても、誰しも必ず迎える「死」の問題です。◆そしてその時に、意味ないものとして手放さねばならないものがある、ということです。裏返せば、死をもってしても私たちから引き離されないものがある、ということではないでしょうか。◆このたとえ話は、「一所懸命財産を蓄えても、所詮人間は死んでしまう存在だ」という人生のあわれを語っているのではありません。「神の前に豊かに、どう生きるか」という招きなのです。