2013年6月23日日曜日

おかえりなさい

2013年6月16日の宣教より

ルカ15:11〜32

この放蕩息子は「遠い国に旅立」(15:13)ったのでした。この「遠さ」は、物理的なことだけでなく、関係の「遠さ」を現しています。内面的にも父親と関係を切ってしまった状態です。「関係を切ることは、自分の中にいる相手を殺してしまうことだ」と言った人がいます。なるほどその通りです。神の存在を自分の中から抹殺して生きている人間、それがこの放蕩息子の姿です。しかし人間は、神の存在があって初めて人間であるのです。「神は御自分にかたどって人を創造された」(創世記1:27)とある通り、人間は、神とは切っても切り離せない存在なのです。17節に「彼は我に返って」とあります。「我に返って」というのは、本当の自分を取り戻す、ということです。そしてその本当の自分とは、父なる神様の方向に向き直る事、父を父として生きる、ということです。これぞまさに回心です。主イエスが来られた理由、それは、私たち人間を父なる神様のもとに導くため、帰らせるためです。主イエスは、そのための帰り道なのです。私たちが父なる神様のもとに帰り、「我が子よ」と抱きしめられるのは、主イエスの命の犠牲があってこそなのです。私たちがこの譬え話を読んで感動するのは、これを話しておられるお方が、他でもなく主イエス御自身であるからです。皆さん、「主イエスにおいておかえりなさい!」・・・これが、聖書の福音です。主イエスにおいて私たちは御国に入ります。主イエスにおいて私たちは神の子となります。そしてそれが人間の本当の幸いであり、まことの人間となることです。